分からないまま生きること

はじめまして。

ブログに遊びに来てくださってありがとうございます。

都内に住む20代の会社員です。

日記以上SNS未満で表したい淡いリアルを綴っていきます。

 

今日は日記について。

5年前の5月、就職先がまだ決まっていないこれからの10年が人生で一番予想できないだろうから変化の記録を残したいと思い10年日記を始めた。

その日記の説明書には“書かない日があってもいい”と書いてあり、ほとんどのことが3日坊主どころか2日で終わってしまう私は「どうせ続かないから気が向いたときにたまに書けばいいや」と思いながらゆるりと始めた。

5年前に想像していた5年後は、当時付き合っていた彼氏と同棲し結婚する未来が見えていて、お気に入りのの服や家具に囲まれた空間で生活し、上の中くらいのキャリアを積み、貯金もそれなりにあり、親離れして自立した、“ちゃんとした大人”。

 

あれから5年。

当時の彼氏にはこれからだという時に振られ、キャリアを積んでお金を稼ぐ大変さを知り、一人暮らしを始めても両親には頼りまくって一人では生きていけないことを知った。そのおかげで、“ちゃんとした大人”だと認識している大人はごく稀で、こうして経験を積んでいくことが“大人になっていく”ということだと知った。(こう語っている時点でまだまだ幼い)

10年日記は予想通り予想以上に書いてないからやっぱり予想通り書いていない。

 

でも、一つ気が付いたことがある。

10年日記を始めるのが何時であれど、人生は予想できないことばかり起こる。

たった1か月程前ですら、感染症によって世界がこんなに変わるとは思っていなかった。

だからこそ今を大切にしなきゃとよく謳われるのだけど、正直なところ今を大切に生きるというのがどういうことなのか分かっているようで分かっていない。今を大切にしようと意識したところで、食べたいものを食べまくったり欲しいものを買いまくったり会いたい人に無理矢理会おうとするのはなんか違う。

うーん、難しい。

 

だから今の私にしっくりくるのは“分からないまま生きる”ということ。

明日がどうなるか分からない覚悟をもって過ごそう。

アドラー先生が『人生は常に完結している』と言っていた。だから10年日記もどこで終わろうが常に完結しているし、今と1年後を線でつなげるのは1年後になってからにしよう。

きっとこれが“今を大切に”の意味だと思うんだけど、時に瞬間を表し時に長い期間を表す“今”という不思議な言葉が分からないときはこう考えるのも一つの方法だと思う。

 

そう、なぜ最初に日記の話をしたかって、日記は自分の字で自分の感情を書くから時々恥ずかしいの。(分かる人いるかな?)

だから時々活字で執筆したくなるんだけどSNSに似合わない内容を書いたり自分を客観視したいのでブログを始めました。

 

これまた10年日記同様かなりゆるーくやるので(頻度は決めない)この文章を読む人がいるかは分からないけどよろしくお願いします。